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日本では、「死の教育(デスエデュケーション)」はタブー視されていた。
そういうことを語るのは、宗教家か哲学者にまかせておけばいいのであり、日常牛活とは無縁のことであった。
なぜ「死」を語らなかったのだろうか。
私は、その理由が大別して二点あったと思う。
第一点は、日本の文化的・宗教的背景に起因する理由だ。
第二点は、近代日本の八十年の歴史の反動という社会的な理由のためだ。
この二点を検証するとわかるのだが、日本人にとっては安楽死とか尊厳死という語自体、文化的、宗教的、そして社会的に背徳に類する語だったのである。
安楽死が安楽殺と早合点されたり、尊厳死が社会的切り捨てにつながるという論など、死を依然として現実から遠ざけようとする試みではないだろうか、と私には思えるのだ。
「死」を意識すまいとする理由の二点を大まかに、そして基本的に理解しておくべき点として説明しておきたい。
まず確認しておかなければならない前提は、日本人は「死」を終結点と考えていることだ。
「死んでしまえばそれで終わり」という思想である。
これは明らかに、アメリカやヨーロッパ、さらにはイスラム教などの国々とは異なる発想である。
彼らは「死」を通過点と考えている。
この世は積土であり、汚れた世界であるというのが彼らの世界観である。
肉体をもって生まれた人間は、この世で辛くて苦しい生活を送らなければならない。
生きるというのは、そういう苦しさに一人で耐えていくことだ。
一人で……というのは、個人でということであり、その人生は誰も助けてくれるわけではない。
個人主義という意味は、たった一人で生きていくという人生の生き方である。
しかし、彼らの宗教には天国や極楽がある。
そこは神に召された霊魂が帰っていく世界である。
そこにはこの俗世の苦しみなどはない。
この世でわれわれは一人で生きでいるが、それは天国や極楽に神によって召されるという信仰があるから可能なのである。
神は個々人の死の折りに、最後の審判を行なって天国や極楽に送ってくれる。
神によって私は天田に召されるその確岡とした信仰があるからこそ、死を受容する。
天国への通過点なのだ。
これは死を恐れないというのではなく、死を精神的に受けいれるという生き方である。
アメリカやイギリスでの安楽死や尊厳死についての考え方を検証すると、日本との決定的な違いは、「死は人生のしめくくりではあるが、同国の者は人格の尊厳にふさわしい臨終のために可能な限りの祝福にみちた助けを与えなければならない」との認識からスタートしていることだ。
神に召されて天国にいく患者のために、それを助けるのが家族や知人、そして医師の役目である。
死の決定権は、それぞれの個人にあり、その個人の選択に対して周囲の者は協力する義務があるということだ。
対して日本人はどうか。
日本人が「死」を終結点と考えるという意味は、日本人は一般に宗教性が稀薄であり、よほどの敬塵な信仰者以外は天国とか極楽浄土などを考えていないということだ。
もっと簡単にいってしまえば、「この世」こそ、極楽浄土と考えているのである。
なぜこの世を浄土と考えるに至ったかは、千年も二千年もつづく民族的特性といっていい。
そういう歴史的背景に積み重ねられてきた信念である。
これは信仰とは異なっていて、われわれの遺伝子に組みこまれているのではないか、という宗教家や医師もいる。
東京・浅草にある浅草寺住職で、加えて浅草寺病院長を務めている大森亮雅は、仏法と医療を究めた僧医だが、大森にいわせると日本人のこういう宗教観は「いいとか悪いということではなく、われわれはそういう民族的特性をもってしまったということを自覚しなければならない」というのである。
人は死を恐れる。
それはどこの国でも、どの民族でもかわりはない。
死を恐れるのは、痛みを恐れたり、家族や友人との永遠の別れを悲しんだり、あるいは死が近づくにつれ、自らの人生の軌跡の罪苦(別に犯罪ということではない)や、青年期の希望が実現しなかったことの悔しさなど、もろもろの要因が瞬時に脳裏をかすめていく。
そのことの著しさもある。
宗教上からいって、日本人と他の民族との違いは、現世を肯定してきたことからくる現実容認の度が強いということである。
この浄土にひとときでもとどまっていたいという思いが死への恐怖とつながり、苦しみを生んでいるのである。
以上のような日本人の民族的特性は、宗教を信仰した一部の者を除いて際立った特徴をもっている。
前述の大森亮雅は、「このような歴史を積んできた日本人は死を真剣に考えるというのは不得手である」といって、次のような見解を明らかにしている。
「近年になって、日本では急に死について語ろう、死の教育を広めよう、といいだした。
しかし、日本人は『あの世』というものを具体的にイメージすることはできない。
いかに死ぬかというのはいかに生きるかという意味になるが、それを一夜漬けですまそうとしてもだめだ。
もし日本人が、このテーマを歴史的に問いつめてきたのなら、とうに『あの世』の姿をえがくことはできていたにちがいない」そのうえで、大森は、日本人という民族は「死」を考えることができない体質をもった民族だ、というのである。
安楽死や尊厳死より、まずはどのように生きるかを個人として煮つめていく思考の回路をつくるほうが先決ではないかということになる。
近代日本の刑法はドイツやフランスなどの刑法を受けいれ、たとえば自殺をきわめて不道徳的な行為という倫理に治って、自殺を補助した者は「自殺関与罪」として裁いた。
日本の明治時代初期にも安楽死に類する自殺村助について法律上の論争が行なわれているが、国民的規模でそのような関心が生まれる余裕はなかった。
日本の医学教育はドイツの研究至上主義を導入している。
そのことは臨床面では、病人を診るのではなく、病気を診ることであった。
病気そのものを治すのが目的であり、病人の健康を維持するという視点は軽視されてきた。
日本の医学教育では奇妙なことに臨床医になるのは、レベルが低いとの見方がつづいていたのである。
安楽死は個人の自我の確立とおおいに関係がある。
病人を診るのではなく、病気を診るとの医療観のもとでは、安楽死はむろん許されないことだった。
明治三十九年に京都帝大医学部教授のI・Mは『医師之権利義務』という書を著した。
そこには次のように書いてあるという。
「安楽死のごときは、決して医術には属さない。
医師の職分は決して患者の死を早めることに存するのではない。
最後の瞬間まで治療し、苦悶を軽減することである」刑法では認めていないこともあって、医師や法律学者は忠実にそれに従った。
個人の死の選択を許容するという文化的配慮など生まれなかった。
円本でもつとも早くにこの間題を社会に知らしめたのは、作家森鴎外である。
鴎外は東京帝大医学部を卒業した医師だったが、陸軍の軍医学校からの援助で、ドイツに留学して、のち日本に戻り、最終的に軍医総監にまでのぼりつめた。
森鴎外には『高瀬舟』のほかに、『阿部一族』や『大塩平八郎』『堺事件』など数多くの名作がある。
それらの作品のテーマに、心中、殉死、自殺などを好んでとりあげている。
鴎外は明らかに日本人の「死」について関心をもっていた。
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